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佐賀地方裁判所 昭和44年(ワ)153号 判決

原告

野寄一

ほか一名

被告

有楽商事株式会社

ほか二名

主文

被告らは各自、原告野寄一に対し金三〇一万八、九六九円および右金員に対し、被告吉岡公は昭和四四年五月九日から、被告有楽商事株式会社は同月一〇日から、被告三和興業株式会社は同年一二月二〇日からそれぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告野寄一のその余の請求、および原告野寄マサ子の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告野寄一と被告らとの間に生じた分はこれを三分し、その一を被告らの、その余を原告野寄一の各負担とし、原告野寄マサ子と被告らとの間に生じた分は全部原告野寄マサ子の負担とする。

この判決の第一項は仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

被告らは各自、原告野寄一に対し金八、五〇八、七二〇円、原告野寄マサ子に対し金三、四八八、三三七円および右各金員に対し、被告吉岡公は昭和四四年五月九日から被告有楽商事株式会社は同月一〇日から被告三和興業株式会社は同年一二月二〇日からそれぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告ら

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、原告らの請求原因

一、事故の発生

昭和四一年一一月二六日午後九時ごろ、被告吉岡は普通貨物自動車佐四せ―九九―一二号(以下単に被告車という)を運転して佐賀市松原町一一一番地先十字路を佐賀県庁方面より佐賀駅方面へ進行中、前方を同方向に進行中の原告一運転の普通乗用車(以下原告車という)に追突し、よつて原告一に対し頸椎鞭打症の傷害を与えた。

二、被告らの責任

右事故は被告吉岡が飲酒のうえ被告車を運転し、前方注視を怠つた過失によるものであるから民法七〇九条により、また被告三和興業および被告車を所有する被告有楽商事はいずれも当時被告車を自己のために運行の用に供していたものであるから自動車損害賠償保障法第三条により、それぞれ後記損害を賠償せねばならない。

三、損害

(一)、原告一は右傷害のため入院加療したが完治せず、なお頭痛、項部痛があるうえ左肩から膝、両手、両足がしびれ、指がけいれんするなどの証状がのこり、一人で歩行困難な状態であるので全く稼働不能で将来回復の見込はない。当時原告一はタクシー運転を業とし、月額三万五、〇〇〇円、したがつて年額四二万円を下らない収入を得ていたところ同原告は本訴提起の昭和四四年五月二日現在四六才(大正一二年二月一日生)であつて六五才に達するまで一九年間は同程度の収入を得ることができるものと推定されるので右年間収入にホフマン式係数一三・一一六を乗ずると、原告一の得べかりし利益の総額は五五〇万八、七二〇円となる。

(二)、原告一は予期せざる事故により前記のように廃人同様となつてしまいその肉体的、精神的苦痛は死に優るものがあるので慰藉料として三〇〇万円が相当である。

(三)、原告マサ子は原告一の妻であるが、当時江崎グリコ株式会社九州工場に勤務し少くとも月額一万五、八一〇円を下らない収入を得ていたが、夫である原告一の付添看護のためやむを得ず職を辞し、将来とも同原告の側を離れることができなくなつたので右収入と同程度の得べかりし利益を喪失したというべきところ、その総額は二四八万八、三三七円となる。

(四)、前記のように最愛の夫が廃人同様となり精神的に多大の打撃を受けたのでその慰藉料として一〇〇万円が相当である。

四、よつて原告一は被告らに対し前記三、(一)、(二)の合計八五〇万八、七二〇円、原告マサ子は被告らに対し前記三、(三)、(四)の合計三四八万八、三三七円および右各金員に対し、被告吉岡については同被告に対する訴状送達の翌日である昭和四四年五月九日から、被告有楽商事については同じく同月一〇日から、被告三和興業については同じく同年一二月二〇日からいずれも支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、請求原因に対する答弁

一、請求原因第一項の事実中、原告一が頸椎鞭打症の傷害を受けたことは否認し、その余の事実は認める。

二、同第二項の事実中、被告車が被告有楽商事の所有にかかるものであることは認めるが、その余の事実は否認する。

三、同第三項の事実中、原告一が当時タクシー運転を業としていた事実は認めるが、同原告が当時月額三万五、〇〇〇円を下らない収入を得ていたこと、および原告マサ子が江崎グリコ株式会社に勤務し、月収一万五、八一〇円を下らなかつたことはいずれも不知、その余の事実は否認する。原告一は事故直後より入院加療中であつたが医師の指示にしたがわずたびたび右病院をぬけ出して被告吉岡の勤務先あるいは被告有楽商事の事務所を飲酒のうえ数度にわたつておとずれ、脅迫的言辞を弄するなど治療に専念しようとしないため治癒がおくれている。

第四、被告らの抗弁

原告一は自動車損害賠償保険による慰藉料として三六万一、〇〇〇円、同じく後遺症補償として六四万円、被告有楽商事の仮払いとして二〇万円、被告吉岡から休業補償として一三万三、二四二円、労災保険給付金として、一一三万八、一八一円、合計二四七万二、四二三円の支払を受けているので、それぞれ請求額から控除さるべきである。

第五、抗弁に対する答弁

被告らの抗弁実実は認める。

第六、証拠〔略〕

理由

一、原告主張の日時場所において被告吉岡運転の被告車が、原告一運転の原告車に追突したことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば右事故によつて原告一は頸椎鞭打症の傷害を受けたことが認められる。

二、被告吉岡の責任

いずれも〔証拠略〕を総合すると、被告吉岡は本件事故現場の南方約一〇〇メートルの地点で先行する原告車を認め、その約五メートル後方を時速約三〇キロメートルで進行中、脇見をしたため、本件事故現場において、横断歩道を横断中の歩行者があつたため原告車が徐行を始めたのに気付くのがおくれ、あわてて急停車の措置をとつたが間にあわず、被告車の前部を原告車の後部に衝突させたことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右事実によれば、本件事故は原告車の直後を進行していたにもかかわらず原告車が急に停止したときにおいてもこれとの追突を避けるため必要な距離を保たず、かつまた前方注視義務を怠つた被告吉岡の過失によるものであることは否定できないところであつて、同被告が民法七〇九条による損害賠償責任を負担すべきことは明らかである。

三、被告三和興業の責任

いずれも〔証拠略〕を総合すると、

(1)  被告三和興業は、被告有楽商事と訴外有楽興業が共同出資して昭和三八年一二月一日設立された訴外佐賀興業が後に商号変更されたもので、被告有楽商事とほぼ同じく映画その他演芸一般に関する事業およびこれに関連する一切の事業を主たる目的とし、また事務所も被告有楽商事の事務所と同じくするうえ、被告有楽商事の代表者力武里彦は被告三和興業の代表者をも兼ねていること、

(2)  被告三和興業は佐賀市内に有楽映画館、平和劇場、名画座、久留米市内に久留米セントラルを経営するが、被告有楽商事は佐賀市内に大洋映劇、朝日映画館、ダンスホールを経営し右久留米セントラルの不動産を買貸していること、

(3)  被告車は被告有楽商事の所有であつたが昭和四一年一一月二〇日業務の都合により被告三和興業に貸与されたこと、

(4)  被告吉岡は昭和四一年二月から有楽映画館に看板係として勤務し、名画座や大洋映劇などへも映画の宣伝用看板をかきに行くほか、時折被告車を運転して佐賀市内で映画の宣伝をしていたこと、

(5)  事故当日、被告吉岡は通常通り出勤して大洋映劇の看板部屋で有楽映画館のロビー用看板をかき、午後六時ごろ被告車を運転して有楽映画館にもどり、夕食休憩などをした後、当日夜間営業をすることになつていた名画座の売店管理切符販売等の業務につくため午後八時五五分ごろ有楽映画館を出、被告車で名画座へ向う途上本件事故を引きおこしたこと、

(6)  事故直後被告吉岡は、原告が、原告車の運転席でハンドルにもたれかかるようにしているのを見てこわくなり、逃走したが翌日有楽映画館の訴外渋谷支配人から呼出され、同人に付添われて佐賀警察署へ出頭していること、

などを認めることができ右認定を左右するに足る証拠はない。

以上認定の事実によると、被告吉岡は被告三和興業に雇用され、同被告の指揮監督のもとで映画館の宣伝業務などに従事していたものであり、本件事故当時も同被告の業務のため被告有楽商事から被告三和興業に貸与されていた被告車を運転していたのであるから、被告車の運行支配、運行利益は被告三和興業が有していたものというべく、同被告は被告車の運行供用者にあたると解すべきである。

四、被告有楽商事の責任

被告車が被告有楽商事の所有であることは同被告において自認するところ、同被告は本件事故の時点において被告車を被告三和興業に貸与していたとしてもそれは事故の数日前に過ぎず、しかも被告三和興業との関係が前記認定のとおり極めて密接なものである以上、他に被告車の運行支配、運行利益を喪失していたことについて格別の証拠のない本件においては、被告有楽商事も被告車の運行供用者の責任を免れることができない。

五、損害

(一)、原告一の得べかりし利益の喪失

〔証拠略〕を総合すると、原告一は前記傷害のため、吉本病院において昭和四一年一一月二六日から昭和四二年一一月二一日まで入院三四五日間を含め治療を受け、さらに小柳病院で同年一二月一二日から同四四年六月二〇日まで通院加療を受けたが昭和四五年三月現在、なおその後遺症として頭痛、頭重、頸部項部の疼痛、右肩胛関節の疼痛、時々全身の強直発作があり、思考力、記憶力が減退し、不眠、全身脱力感、両手のしびれ感、視力握力の減退等の症状が遺り、また歩行障害があつて長歩きができない等の症状があり、合計二年七ケ月に及ぶ長期加療の結果も余り良好とはいえないことから完全治癒はむつかしく将来にわたつて右後遺症が遺ることが認められる。従つて原告一はとうてい従前の職にもどることはできないと考えられるが将来全く同等の職にも就けず無収人で過さねばならないかについては現在適確な判断を下すことは困難と言わざるを得ない。この場合労働基準法施行規則の身体障害等級表中に原告一の傷害と同程度の等級を見出し、その等級の労働能力喪失率によつて今後における被告一の労働能力喪失の割合を算定することも考えられるが、原告一の傷害の程度に正確に対応する等級が見出し難く、強いて求めれば、第七級四号と思われるが第七級の労働能力喪失率は五六パーセントであり、これでは前認定の原告一の後遺症の程度からみて原告一に不利な感を免れず、第六級の四に該当するともいえない。そこで右等級表を参考としつつ事案全体から妥当と思われる割合を決定するほかなく、結局本件においては労働能力喪失率を七〇パーセントと見るのが相当というべきである。

原告一が当時タクシー運転を業としていたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告一は当時四三年九月(大正一二年二月一日生)であることが認められ、同年齢の日本人男子の平均余命および同原告の職種などから考えて、六〇才まで一六年三ケ月間稼働可能であるものと経験則上認められる。そして〔証拠略〕によれば原告一は月額三万五、〇〇〇円を下らない収入を得ていたことが認められるので、同原告は本件事故後一六年三ケ月間は少くとも右収入の七〇パーセントたる月額二万四、五〇〇円の得べかりし利益を喪失したというべきであるので右二万四、五〇〇円に一六年三月を乗じホフマン方式により月毎に年五分の中間利息を控除すると、三四九万一、三九二円となり、原告一は本件事故により右金額の得べかりし利益を喪失したというべきである。

(二)、原告一の慰藉料

本件事故の態様は、原告一の受けた傷害の程度、その後遺症の状態を考慮するとき原告一の慰藉料は二〇〇万円が相当である。

(三)、原告マサ子の得べかりし利益の喪失

〔証拠略〕によれば、原告マサ子は原告一の妻であつて当時江崎グリコ株式会社九州工場に勤務し少くとも月額一万五、八一〇円を下らない収入を得ていたが昭和四二年八月一九日離職し、以後収入を得ていないことが認められる。原告マサ子は原告一の付添看護のため退職をせざるを得なかつたと主張するが、〔証拠略〕から認められる原告一の吉本病院に入院中必要であつた昭和四一年一二月一二日から昭和四二年三月二一日までの付添看護は格別、前認定の原告一の後遺症の程度からみて、必ずしも信用できず、他に右離職が原告一の付添看護のため余儀のないことであつたと認めるに足る証拠はなく、右収益を失つたことが本件事故に相当な損害とは認め難い。

(四)、原告マサ子の慰藉料

第三者の不法行為によつて身体を害された者の配偶者が自己の権利として慰藉料の請求ができるのは、そのために被害者が生命を害された場合にも比肩すべきまたは右の場合に比して著しく劣らない程度の苦痛を受けたときにかぎると解すべきところ、本件においては配偶者たる原告マサ子において自己の権利として慰藉料を請求できる程度の精神上の苦痛を受けたものとは全証拠によるも認定できないので慰藉料の請求を認めることはできない。

六、損害の填補

被告らの抗弁事実は原告一の自認するところであるから、これをそれぞれ前項(一)、(二)から控除すると、原告一の損害は結局合計三〇一万八、九六九円となる。

七、したがつて原告一の本訴請求は、被告らに対し各自金三〇一万八、九六九円および右金員に対し、被告吉岡については同被告に対する訴状送達の日の後であることの記録上明らかな昭和四四年五月九日から、被告有楽商事については同じく同月一〇日から、被告三和興業については同じく同年一二月二〇日からそれぞれ支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の請求および原告マサ子の本訴請求はいずれも理田がないので棄却する。よつて訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条一項を、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 諸江田鶴雄 松信尚章 大浜恵弘)

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